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八幡馬の由来・解説

八幡馬(やわたうま)は、青森県八戸市を中心とする南部地方に、古くからある郷土玩具のひとつです。「誰がいつ作り始めたのか」 については、諸説有りはっきりした事は分かりませんが、明治の初め頃には既に作られていたといわれています。

※説のひとつを紹介すると、明治の初期、天狗沢・笹子地域に住んでいたある農民が、泥の中から偶然見つけた木彫りの馬を真似て作ったものが、後の八幡馬になっていった。この元となった木彫り馬が今から約750年前に作られたものである事から、今日の八幡馬の元祖と呼ばれている。
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八幡馬の歴史

参詣者のおみやげとして「馬の玩具」

南部一の宮「櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)」の例祭(*1)の社前で、参詣者のおみやげとして木彫りの馬の玩具が売られるようになりました。この神社の所在地が「八幡〜やわた」と呼ばれる事から「八幡の神社で売られている馬っ子」で八幡馬と呼ばれるようになりました。

*1 南部の居城が八戸市根城にあった頃より、近郷の三戸郡舘村八幡(やわた)の櫛引八幡宮境内 の馬場 に於いて年に一度の祭例(旧八月十五日)に武士達の弓術の奉納があり、各地の名人・名 馬が 馳せ参じて一騎一射の掟で流鏑馬(やぶさめ)の技を競うという古代ゆかしき儀式がありました。

生活に寄り添う玩具

素朴さと親しみやすさ

いつごろからは定かではありませんが、後に笹子地域の農民達に伝わり、農閑期の副業として馬が作られるようになりました。松材を鉈で荒削りした馬体には黒(鹿毛)、赤(栗毛)、白(芦毛)を基調とした色が塗られ、千代紙で飾り、あぶみ手綱や鈴をあらわす点星を描いた素朴なもので した。これらの模様は、昔の花嫁が輿入れにみられた乗馬の盛装を模した模様が描かれています。

また、他にも、背中に人や猿をのせた馬、四つ車のついた台に乗った馬などが作られていました。中でも代表的なものは、台車の上に大小の親子馬が乗っていて、ひもで引いて遊ぶ男の子用のおもちゃです。この親子馬が八幡馬が「駒」ではなく「馬」と呼ばれる所以でもあります

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一鉋一鑿の木彫り馬

三春駒、木下駒と共に日本三駒と呼ぶ名玩具

大正の末期には、直線加工を得意とするナタを使いながらも、胸や腹部分の巧みな曲線加工と、華やかな模様で作られた八幡馬は、三春駒(福島)、木下駒(宮城)と共に日本三駒と呼ぶ名玩具と賞賛されるようになりました。 一鉋一鑿(いっぽういっさく)の木彫り馬を元祖とする八幡馬の「伝統型 鉈彫り八幡馬」は現在唯一の製作者・大久保直次郎氏(四代目)だけとなっています。弊社では、古くからある八幡馬を元に昭和29年(1954年)から独自の技術とデザインで新たな八幡馬を作り続けています。

伝統とオリジナルが共存する

昔からの良さを残し、新たな魅力を生む

装飾品を千代紙で表現している旧型の八幡馬。その千代紙部分の模様を手描きで八戸に縁あるものを彩色します。割菱(武田菱)や向い鶴(南部鶴)の家紋や安房宮(あぼうきゅう・菊)、蕪島のうみねこなどを模様化し馬体に描き、民芸品としての伝統を残しつつも郷土八戸を凝縮したオリジナリティーあふれる八幡馬となっています。結婚、新築、卒業、出産、落成などの各種お祝、記念品として広く愛され、平成9年、青森県伝統工芸品に指定されています。

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