このページでは、八幡馬の製作現場に見学にきた子供達からの質問と回答をのせています。
八幡馬には大きく分けて2種類が存在します。ひとつは「明治初期頃から作られている旧型の八幡馬」と「昭和に入ってから作られるようになった八幡馬」です。前者は天狗沢および笹子地域の農家の人が副業として作り続けられたもの、後者は新たな八幡馬作り事業として発展させてきたものです。デザインや製造法は違いますが、現在はどちらも八戸地域の伝統と文化を後世に伝える民芸品・工芸品として「八幡馬」と認定されています。(青森県発「青森県伝統工芸品」参照)
過去には前者後者共に製作者が多く存在し、それぞれ独自のモノが作られ模様や形が少しづつ違うものが存在しました。
青森県八戸地方に古くからある馬の形をした木製郷土玩具のひとつで、「日本三駒」のひとつにもかぞえられています。青森県県南部の代表的な民芸品です。
櫛引八幡宮の例祭で売られていたお土産品のひとつとして有名になり、現在は青森県伝統工芸品にも指定されています。
東北地方の木製馬民芸品の総称です。福島県三春地方の「三春駒」、宮城県仙台地方の「木下駒」と青森県八戸市の「八幡馬」を総して「日本三駒」と呼びます。
馬産地ならではの木製玩具として書籍にも取り上げられてます。日本郷土玩具事典(西沢笛敏著:1954年)、日本郷土玩具 東の部(武井武雄著:1930年)など。
現在の八戸市八幡(やわた)にある櫛引八幡宮境内で行われる年1回の例祭(旧8月15日)の日に、参詣者のお土産として売られるようになり、「八幡にある馬っこ」ということで「八幡馬」と呼ばれるようになりました。
櫛引八幡宮は、鎌倉時代より南部藩(青森県南部・岩手県北部)の総鎮守として、多くの人々に尊崇されてきた一の宮です。また、所蔵の国宝・赤糸威鎧をはじめとした宝物、国指定重要文化財の御本殿など、八幡宮全体が文化財となっています。
「八幡駒」と呼ぶのは間違いです。八幡馬(やわたうま)が正しい呼び方です。
一般的に木彫りの馬のことを「○○駒」と呼んだり、「日本三駒」のひとつに数えられている事から「八幡駒」と呼ぶ人がいますが、「駒」は若い馬や子馬のことを指します。このとこから「三春駒」や「木下駒」は子馬や若い馬をモデルに作られた事がわかります。代表的な八幡馬はの形は「親子馬を四つ車がついた板の上に乗せ、その板についているヒモを引っ張って遊ぶ、男の子用の玩具」です。親子馬という事は、一方は大人の馬ということで「駒」と呼ばずに「馬」を使っているのです。
天狗沢・前田家説と笹子・大久保家説の2通りが存在しますが明確な資料もなく口伝要素が多いためどちらも確実性に欠けると言うのが現状です。明治以降には作られていることは確実ですが、以前はどこまで遡れるかは不明です。
過去に昭和30年ごろ製作した当社の八幡馬解説で「700年〜750年前に作られた木彫り馬が八幡馬の元祖」と言う解説文を使用していましたが、現在は明記しておりません。
馬体の色、黒は鹿毛、赤は栗毛、白は葦毛を表しています。
昔の八幡馬は、農閑期(冬)に農家の人たちの手で作られていました。絵の具はススや灰、土などを工夫して作り、その中でも、手に入りやすい黒、赤、白が代表的な色となったのです。
黒がオス馬で赤がメス馬ではないのですよ。
例えば黒は鍋ススをニカワで溶いたもの白は灰などを利用した泥絵の具
全体のデザインは、昔の花嫁の輿入れ(嫁入り)にみられた乗馬の盛装を模したものを表現しています。他の地域の木彫り馬との大きな違いは、千代紙を貼って模様を表現しているところです。
(弊社の八幡馬は千代紙を使用していません)
千代紙は盛装馬の鞍や色とりどりの布、装飾品を表しています。他に絵の具で目、鼻、口、手綱、あぶみ、白い点々を描いています。 白い点々は「馬齢」といい、たくさんの鈴を表しています。 唄にある「シャン シャン〜」は歩くたびに揺れて鳴る鈴の音です。
(1)胸や腹部に巧みな曲線が使われていたこと。
(2)装飾模様に千代紙が使われていたこと。
(3)「八幡馬は親子馬」ですから2頭でひとつの作品であること。etc
加工のしやすい「シナの木」「桂の木」「栓の木」などを使用しています。
製造工程では木工作業と絵付け作業に分かれます。
<木工作業>木取り作業~木工機械を使って大まかな馬の形に切り出します。削り作業~ノミやナイフを使って形を整えます。<絵付け作業>下塗り作業~赤や黒の色をつけるます。絵付け作業~目鼻口、その他の模様を筆書きします。毛すげ作業~タテガミと尻尾を付けます。
弊社で通常作っているのは、高さ3㎝〜30㎝までの10種類です。
特注品として33㎝、36㎝、39㎝、45㎝、60㎝の大きな馬を作ることもできます。
大きさによって少しずつですが模様を変えてあります。また、「白木馬」「紋付馬」「上紋付馬」など同じ大きさでも価格の違う商品があり、模様も異なります。馬体の色が変わると同じ模様でも配色が少しずつ変わりますので模様違い、配色違いをいれると100種類以上になります。
旧型はほぼナタ一本で形を形成していくのに対し、弊社では一部木工機械で加工します。しかし、削り作業や絵付け作業など作業全体のほとんどが手作業で行われています。
旧型の模様には千代紙を使用していますが、弊社は全て手描きで模様を入れています。模様にはそれぞれ意味があり、蕪島のウミネコ、阿房宮(菊)、割菱や向かい鶴など郷土八戸を凝縮した模様になっています。
昭和の頃には農家の人が作ったり、八幡馬の製造業に参入する会社もあり多種多様の八幡馬が作られていましたが、現在(平成27年時)は旧型の八幡馬を唯一製作している大久保直次郎氏(四代目)と弊社の2件だけです。